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![]() 日真大和尚像 江戸時代 |
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日真大和尚は、文安元年(1444)に城崎郡九日市(兵庫県豊岡市)の山名家にお生まれになりました。六歳にして山名家の菩提寺である妙境寺、十八歳にして、比叡山に登り一院に寄寓され天台・日蓮教学を研究されます。 京都の妙本寺で二十有余年の研鑽をつまれた後、「法華経に二教あり。本門と迹門なり。本迹の相違は天地懸隔、水火不同の如し。」との立場を明確にされました。 この立場は法華経に二経、ましてや優劣などないとする妙本寺の立場と相容れなかったため、正しい法を挽回するとの誓願のもと妙本寺を去られ、四十五歳で、京都の四条大宮の地に慧光無量山本妙興隆寺(慧光山本隆寺)を創建されました。 その開堂式で、「一部修行 本勝迹劣 唯寿量 本果実証 上行所伝南無妙法蓮華経」と、像門(日像菩薩の門流)の正統を継承することに不惜身命の誓いをたてられました。 |
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![]() 日真大和尚筆本尊 延徳2年(1490) |
日真大和尚は、八十五歳で亡くなるまで高祖日蓮上人の教えの弘通すべく各地を行脚され、多数の曼荼羅を人に授けたと伝えられています。 その筆跡は像師(日像菩薩)を模したもので「波動の題目」と呼ばれました。 妙法寺には本宗で最も古い日真大和尚の曼荼羅を所蔵しており、霊応殿中央には日真大和尚の尊像がお祀りしてあります。 |