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享保十四年(一七二九)建立の山門
  佐治の町はずれ、神楽と遠阪への別れ道にほど近い小倉地内にある立正山妙法寺は、法華宗総本山本隆寺末。開基は足立権太兵衛基則、開山は智願院日岏上人で天文二十二年(一五五三)の創建である。開山は法華宗真門流の開祖日真上人の直弟子で、天文年間に丹波を巡り岩本の庵室で説法をしていたところ、岩本城主足立基則の帰依を得て足立氏の下屋敷に妙法寺を建立した。
  足立基則は足立堀殿の末流で小倉に居をかまえていたが、その下屋敷五反七畝十七歩を境内として妙法寺を建立、丹波天正の乱では明智光秀に属していた。天正十年(一五八二)六月二日の本能寺の変に参戦、舎弟宗直、子息宗忠とともに翌一月十八日亀山で自害。その法名は源勝院殿日法大居士といい、墓は妙法寺の歴代住職墓地にある。

桑山修理亮重勝の制札
 天正十年(1582)
  基則の妻女の実家は桑山家といわれ、基則は天正十年六月に桑山修理亮重勝の制札を下付させ、妙法寺を外護させている。
 桑山重勝はのちに豊臣秀長に仕えているが、和歌山城時代に法華寺に隣接する海龍王寺より、南都絵仏師大法眼命尊筆の涅槃像を入手し、妙法寺に寄進した。命尊は興福寺金堂の本尊吉祥天女台座に名が記され、厨子の「七宝山図」「梵天、帝釈天像」を画いた大仏師法眼である。命尊筆のものは昭和四年の「国華」に掲載された藤田家の涅槃像があったが所在不明。海外へ流出したものもあり、国内唯一の美術的価値ある逸品と評価されている。
 また建治二年(一二七六)日進授与の日蓮上人曼陀羅、延徳二年(一四九〇)日真大和尚曼陀羅、天正十一年(一五八三)の開山日岏画像など二度の大火からも救出した重宝もあるが、建物は享保十四年(一七二九)建立の山門以外は大正期以降で、庫裡は大正期建築をそのまま改修、妙見堂は能勢妙見の本殿を、本堂は夢殿をモデルにしたものであり、庫裡の十二枚の襖絵は小川鉄男画伯の青垣風景である。

                       丹波新聞刊 「ふる里の寺」より


法華宗妙法寺本堂

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法華宗 立正山 妙法寺

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