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 釈尊は苦行林で六年間修行されまして、ブッダガヤーの菩提樹のもとで悟りを開かれ仏陀(真理を悟ったもの)となられました。しかし、仏陀となられました釈尊は、自分のさとった真理「法」の内容を他の人に説こうとせず、ひたすら自分のさとり得た法の境地に浸って一人楽しんでいられたといわれています。「長い難行苦行をし、苦労してやっとさとり得たことを、貪りと憎しみにとりつかれているひとびとにさとらせるのは困難なことである」とされたのです。
 もし、この時釈尊が自分でさとられた仏法の内容を伝えられることなく、ひとり法悦に浸っておられたら、仏教は存在しなかったということになります。ところが、仏伝によりますとバラモン教の最高神である梵天が釈尊に仏陀の教えをひとびとに布教するよう勧請されたので仏教伝道を開始されたとされています。

 釈尊は菩提樹下での禅定から立ちあがり、数百キロ離れたバラモンの聖地として栄えていたベナレスに行かれました。ベナレスには、かつて苦行を共にした五人の修行者がいましたのでベナレス郊外のサールナートで旧友五人に最初の説法をされたのです。このことを初転法輪といい、サールナートこそ仏教がはじまった聖地なのです。

 五人の修行者は釈尊の教えと人格に帰依し、さとりを開き解脱することができ、阿羅漢となりました。阿羅漢というのは煩悩を完全に滅した人のことで、世の尊敬を受けるに価する人とされて「応供」ともいわれています。
 釈尊も阿羅漢の一人でありますので、経典には「ここにおいて世間に初めて六阿羅漢あり」とされ、六人は交互に托鉢に行き集団生活を始められ仏教教団ができました。この教団のことをサンガ(僧伽)と呼んでいますが、サンガには、出家者と在家者がいました。

 出家したものは家から離脱して、独身生活をつづけ世俗の職業にはつかず、経済行為は禁止され、托鉢で生活をするのです。また、在家者は家庭をまもり、正しい職業をもち、職業に精励努力して名誉や財産をもち、呪術や魔法は禁止され、犠牲を伴う祭祀を排除し、経済的に恵まれると他人の為に財貨を喜捨することが大切とされました。
 このサンガには国王、貴族、商人、手工業者、遊女にいたるまであらゆる階層の出身者が、釈尊のことばを聞くために集まってきました。

 当時の宗教家たちは解決できない形而上学的問題をとりあげて一方的な論争をしていたようです。世界は有限か無限か、身体と霊魂は同一であるか別のものであるかなどです。これに対し、釈尊はそんな議論は無益であるとし、人間が生きるための真実の道を説かれたのです。
 人生は苦にみちているが、人は思いどうりにならないことで苦しむ。思いどうりにならないのは、一切のものは因縁がよりあつまってつくられているからであり、つくられたものは常に変遷してとどまらず無常である。無常なものを「わがもの」とか「われ」とか考えることはできないので、真実は「無我」であることをさとらねばならないのです。

 苦行し、断食もし、瞑想されて求められた人生の苦からの脱出は制御しがたい自己の欲望をいかに止滅するかということでありました。苦悩の解決に人は最高神を求めたり、第一原因が存在するように考えて迷いますが、そうしたことの根本には自分の欲望に原因があるのでその自分の欲望を制御する以外になく、制御するのは自分しかないとさとることであるとされています。

 つまり諸行はうつろうので実体はなく、自分に内在する我も実体はないので、実体のないわれの欲望をすてない限り人生の苦悩からの離脱はできないのです。
 人生が苦であり、それは生まれながらにしてこの身についているものとするのはアダムとイブの話、ギリシャ神話にもあり、古代エジプト人も苦からの離脱と再生を希求していますし、この世を穢土として浄土を求めていましたので諸行無常、一切皆苦は人類の誕生と共にあった課題でありました。この人類の課題を解決されたのが釈尊であります。

 迷いの根本は欲望にあるので、戒律をまもり禅定をおさめ、束縛から脱して執着や愛欲を断たなければならない。苦行と欲楽の両極端を止めて中道を歩み、一切のものに慈悲をおよぼすよう生きることこそ理想の生き方と教えられています。 



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