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 アショーカ王の仏教宣揚以来約三百年、仏教は中央アジア諸国に根拠地をもって栄えます。東漸して中国へも伝えられましたが、インドで成立したシュンガ王朝がバラモン教を崇拝し、仏教を排斥しましたので、仏教徒の多くは西北インドや南方に逃げてしまいます。
 このことが北方仏教や南方仏教の発展の原因となり、北インドを統治していたのはバクトリアのミリンダ王ですが、仏教に帰依していましたので、ガンダーラ仏教美術がこの時期より興隆していきます。

 南方仏教については、アショーカ王が南インドに派遣した僧侶が大衆部の信奉者でありましたから、大衆部の学説が南方で盛んになりました。しかもドラヴィダ人のアンドラ国で受け入れられましたので仏教はさかんになります。
 一方西北インドではクシャーン王朝が創立され、二世紀頃のカニシカ王の時仏教が保護され、多数の仏塔や僧院が建てられ芸術的にも高度な仏教文化がおこりました。当時のインド美術は建築も彫刻もすべて仏教美術であり、熱心な仏教徒たちが群集して寄進をしましたので「仏教インド」といわれているようにインド各地に質の高い仏教文化が興隆することになりました。

 クシャーナ王朝のカニシカ王は東西貿易で富を手にすると同時に東西文化の交流融合の面でも大きな役割をはたしています。インドとパキスタンの北部、アフガニスタンからカシミール北方地域まで支配していますし、その統治は二十三年続き、後継にカニシカ二世がいますので彼等の築いたクシャン王国はローマと中国を結ぶ東西貿易路上の諸都市を支配し、その地に仏教文化を育成しました。
 
 カニシカ王の名声は仏教保護によるもので漢訳仏典や説話集で伝えられています。カニシカ王がインド中央部を侵略し、マカダ王を降伏させたとき、馬鳴(めみょう)という高僧と仏鉢をもらいうけ、カシミールへ連れ帰って仏教の布教をさせ、仏教徒会議を招集させています。
 莫大な費用で仏塔を建立したり、広大な寺院を建設したりしていますが、馬鳴が説一切有部教団の僧であったことから、カニシカ王が保護したのは、その教団中心でありました。「大毘婆沙論」の編集を勅命していますが、この経典により説一切有部の基礎が確立しています。

 カニシカ王は宗教に寛容でありましたから彼の貨幣にはブッダの他にゾロアスター教やギリシャ、バラモンの神々もあることから、支配した民族の多種な宗教的信仰も尊崇したといわれています。

 アミダ仏とその西方極楽浄土の思想はゾロアスター教の影響をうけて成立していますし、極楽が西方にあるという発想や、豊かな宗教的普遍性も西方の宗教思想によるとされています。
 また弥勒仏の救世主的性格は西アジアの宗教思想と関係がありますし、特にこの時代より造られる仏像は東西文化の融合による造形美術で、そのことはガンダーラ美術に代表されていることはいうまでもありません。
 当初仏像不表現であった伝統の仏教徒たちも美しい彫刻や、大乗仏教の主張を内包する仏教美術に感動し、そうした仏、菩薩、守護神の仏像を崇拝するようになりました。

 カニシカ王の統治により、ローマ帝国との接触、中国へ通じるシルクロードも延び、東地中海の通商路も延び、商業の興隆のみならず思想、文化交流、多民族の宗教文化、信仰までが融合したのです。
 こうした時期に成立しました大乗仏教は東西文化融合の宗教であり、多神教的性格と同時に世界の宗教を統一する使命を内包するもので東西文明の粋を結集して経典が創造されたことを再認識すべきです。


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