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 どんな人間にも必ず先祖はいます。しかもさかのぼって数えると無数の先祖の人々がいて、その血がどんなに薄くなっても子孫の一人である自分に流れていることは否定できません。このように気付いた時、先祖に対する感謝の気持が自然に湧き、それがやがて、尊敬や崇拝の念に変わっていくのです。

 「おかげさま」という言葉によって示されている言葉の中に、今日の自分をあらしめてくれた「ご先祖さま」に対する崇拝感謝の気持がふくまれています。

 人間にとって最も悲しいことは、自分が死ぬことよりも、自分が愛し大切にしてきたものを失うことです。特に自分をこの世に生まれさせてくれた父や母を失うことは人生の最大の不幸です。葬式や追善供養は単に死者だけのものではなく、生き残った者の死者に対する感謝、尊敬の気持を表現するのが供養です。これと同じ感情が、すでに過去に死去された祖父・祖母とかその先代とかにおよぶ時、先祖全体に対する追慕・感謝・尊敬といったものを表現するのが先祖供養です。


 すべてのものの悟りを目指す仏教の考え方では、単に個人の悟りや、個人の成仏だけではなく慈悲が大切となります。そこから死者が輪廻転生の世界で苦しまないため、生き残ったものが善根功徳を積み、それを死者に回向することによって死者の冥福を達成することができるのです。


 人間としてこの身を生かさせて頂いたことに対し先祖に対する感謝を表現することを通して、生きていることの意味を問い、やがて自分が先祖になって子孫が幸福になってくれることを念じられるようなものとして永遠の生命を生きたいと誓うことが供養です。


 日本人は古来、先祖の霊によって守られていることによって幸福な生活を送ることができると考えていました。彼岸とか盆には先祖の霊が帰ってくると信じられており、迎えるために迎え火をもやし仏壇で充分おもてなしをして、再び送り火によってあの世に帰ってもらうという風習がありました。墓まいりも同様で墓へ行って供物・供花・読経・焼香などして供養するのです。死者の霊は一定の期間を経過してこの世の穢れが浄化されて〝ホトケ〟となり子孫を守ってくれるのです。


 死後、枕経・通夜・葬式・初七日から四十九日・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌と続き、五十回忌の法事を営み、縁者と共に読経することにより亡霊は浄化され、よい世界に転生すると信仰されていました。死者の追善・回向・冥福を願ったのです。


 しかし縁者といえども、感謝や尊敬の念のわかない死者に対しては追慕や追善の気持ちが起こるわけはありませんので「家」の習慣がなければ、そうした気持と無縁になってしまいます


 祖先崇拝は「家」にたいする帰属意識のない家庭には祖先に対する供養は心のこもったものにはなりません。自分の先祖を祭る習慣をもたなければ、自分が何時か祭られるようになったとき、子孫がおまつりをしてくれたり、冥福を祈り回向することを期待するのは無理なことです。


 家は親が子に対し、子が親に対して抱く無償の恩愛の情を育む場で、生存の基本であり、人生にとって最も大事なものであります。家族がおたがいの人格を認めあい、尊敬と愛情をもって生きることが大切ですが、そのためにはすぐれた精神性も必要なのです。

 今の社会で再認識されなければならないのは、家族は新しい世代を生み育てる場であり、共同で消費生活をする場であり、意欲的に生きるための精神的な安定を得るいこいの場でもあります。何より子供たちにとっては人格を形成する場でもあり社会発展の基礎になるのが家庭であることに変わりはありません。その家庭に道徳的確信もなく、親子関係の倫理もなくなってきてしまっています。



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