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 人の一生は不思議なものです。人は生まれようとして生まれてきたのではなく、親のもとに生まれていたのです。そして、養育され成長しますが、与えられた生命を大切に生きるとしても、自分では予測できない死がまちかまえています。親の精子と卵子の結合で生命は誕生するのですが、数多い男女のなかからどうして二人は結婚し、子供の親となったかは不思議な縁としかいいようがありません。

 「袖ふりあうも他生の縁」といいますので偶然でなく、すべて前世からの因縁によるのかもしれませんが、まことに不思議な縁により結婚し、「子宝に恵まれ」て親となり、新しい生命を養い育てます。「子供を作る」などといっていますが、子供は親の意思どおりになるものではなく、「授かったもの」であり決して親が自由に支配できるものではありません。そして、親にも両親があり、その両親にも親がありますので、2人、4人、8人と親の縁が増え、そのいずれが欠けても自分は存在し得なかったということになります。その数は先祖を遡っていきますと限りなく増加し、鎌倉時代まで遡って先祖を探すということになりますと億の数の人との縁につながることになってしまいます。

 このように人は無数の縁によって生まれ、成長し、社会で生活して生きる存在で、縁によって生かされていますので、仏教では「縁生」といっています。「死」によって消滅するはかない存在ではありますが、生かされて生きていることを知り、有縁の人と相互に扶けあって生きる以外の生き方はありません。そして同時に、あらゆる人は一人として同じ生命をもつということのない個性的存在でありその意味で、一人で生まれ、一人で生き、一人で死ぬ存在でありますので、自分の一生は自分で責任をもつということになります。

 人は、はかり知れない無数の縁によって生命を与えられていますので、自分は「生きている」というより、「生かされている」という自覚のある生き方が大切なのです。

 『無量寿経』でこのことを「人は、世間愛欲の中にありて、独り生じ、独り死し、独り去り、独り来る。行いをおうて苦楽の地に至り趣く、身自らこれをうく、代る者あることなし」と述べていますが、無数の縁によって生命が与えられ、生かされている、唯我独尊としての自己であることを自覚して生きることが大切であると教えています。無数の縁と無量の恩恵をうけて生きて生かされている自覚があれば、先祖を想い先祖を語ることになるのです。  

  仏教は自分の心に安らぎを与え、相手に思いやりをもてるよう先祖供養を通じて「慈悲心」を教えてきました。希薄な親子関係の子供が、希薄な友人関係となるのは当然で友人を思いやる心は育ちません。やはり親は「やるべきことはやれ、わがままはゆるされない」としつけ、機会の平等な社会で生活するのだから「努力することをおしまない人になれ」とさとし、「絆」という人間関係に支えられて生きられる社会的動物であることを教育しなければなりません。誇りもなく、自己責任の意識をまるでもっていない利己的な親から反社会的な行為をする子供が育ったとしても、本人だけの責任ではありません。



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