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釈尊は釈迦如来ともいい、如来さんなのです。如来とは真理の世界から来たもの、真理に到達したもの、真如の世界から来られたこの上もなく尊いものということです。釈尊は如来さんの十種の徳をそなえたおかたで、この世にあって偉大な仏教により人類を救済されている仏さまですから、その降誕についても随分多くの伝説が残されています。まず如来の十号といわれています徳についてみていきます。

 応 供
   ― 阿羅漢のことでふさわしい者、つまり人・天から尊敬される資格ある者
 正偏知
  ― 完全な真理を覚った者、等正覚、正等覚ともいいます。
 明行足
  ― 天眼・宿命・漏尽の三明の智慧と身体・言語・行いが共に完全である
 善 逝
  ― 迷いの世界をよく超えて、再び迷の世界に還らない状態になる。
 世間解
  ― 世間の因果をよく理解し、出世間のこともよく知っている。
 無上士
  ― 最も尊い存在、三界独尊である。
 調御丈夫
  ― 人々をよく調伏制御して涅槃に導くものであり、心の中をよく理解する
 天人師
  ― 天と人との師であり、地獄、餓鬼、畜生など迷いの世界にあるものを導く
 仏
  ― 仏陀でさとれるもの、目ざめたるもの。自らさとり、他をさとらせる。
 世 尊
  ― 多くの徳を具えて世間から尊ばれているもの。

 以上の十号の徳を備えるにいたる人物の誕生というので世にも不思議な奇瑞が仏伝には書かれています。

 釈尊の父は浄飯王(スッドーダナ)で、白飯、斛飯、甘露飯の兄弟がありましたが、浄飯が位につきました。母は摩耶夫人(マーヤー)といい、白蓮華のように清い心の持主でありました。この夫婦の間には長い間、王子がなかったのですが、摩耶夫人がある日、6つの牙のある白象が天から降りてきて、夫人の右脇から胎内にはいった夢を見て懐妊されたとのことで、すでに45歳でありました。
 摩耶夫人は出産のため郷里に帰る途中のルンビニー園で休息をとられました。伝説によると、アショーカ樹の花が満開であったので、その花房を取ろうと右手をのばされた時、右の脇腹から釈尊がお生まれになったということです。

 釈尊が誕生されますと、神々は天上から花の雨を降らせ、2頭のナーガ(竜)が産湯を注いだということです。生まれたばかりの釈尊は、東南西北を見わたし、北に向って7歩あゆみ、右手を上に左手を下に向け、「天上天下唯我独尊」と宣言されます。
 こんなことは信じがたいことですが闇黒の世界に智慧の光を与えて下さる釈尊の出現なのですからどんな表現でも表せないことではないでしょうか。
 更に雪山に阿私陀という仙人が住んでいましたが、太子の誕生を知り甥の那羅陀をつれて太子を占いにやってきました。そして「王子様は32の偉人の相を具えておいでで、家にあれば転輪聖王となって四天下を統一されるし、出家すれば必ず無上の正覚を成就し明行具足の仏陀となられるでしょう」と予言いたしました。

  母の摩耶夫人は釈尊降誕の7日目に逝去されてしまいます。これは「釈尊」となるために摩耶夫人は肉身の仏陀を産んだだけでなく、法身の仏陀を産むため、太子に堪えられぬ骨肉の死の悲しみを与えるため逝去されたのでした。
 かくして釈尊は母マーヤーにかわってその妹のマハーパジャーパティーに育てられますが、何の不自由もなく極めて幸福な幼少時代をおくられています。

 32相というのは全身にみられる身体の特徴であり、転輪聖王は輪の回転が武器で血を流さずに征服する王たちの王で非凡な能力のもち主であり、仏陀も神たちの神で、神々への信仰は人間の霊性を目ざめさせますが、その神々の指導者であり、人々と神々の幸福のために法を説くのが仏陀なのです。

 釈尊が育ったのは農耕地帯で米作中心の農業を生業としていました。農耕は大地・自然との関係で成りたちますので、大地の恵みを大切に、またその恐ろしさを身をもって感じるのが農民です。宗教としての宗教が成立する以前から敬虔な風習があり、世界中どこでも自然物や、名も知れない偶像が祭られています。
 ネパール地方でも大地の母神は威力ある神としてまつられ、さらに大小の地神が信仰されていたようです。

 また農耕の習慣として王が先に耕作をする行事があったようで釈尊も父王につれられて農業の苦しい労働、地中の虫の生命、弱肉強食を幼少の時から見ていたのです。「一切皆苦」の仏教の命題もそこからでていますし、自然崇拝の多神教もその風習から信仰されたのです。
 そして、その神々と人々の幸福を実現させる宗教を菩提樹の下に座りながら少年の釈尊も瞑想されたと思えます。経典には少年太子が樹木の下に座していると樹が影を移さなかったという話がありますが、樹に宿る神が太子を守護したのでしょう。

 さて釈尊がお生まれになった時代のインドは激動期を迎えていました。鉄の使用で農業生産が上昇して商業が生まれます。商人達は武力を持った王族と結んで部族都市国家を成立させますが、この部族中心の都市国家も統一される運命にありました。釈尊に期待されたのは、強力な君主として釈迦族の王国を守り、さらに発展拡大し強国にすることにありました。父の浄飯王(スッドーダナ)は、少年釈尊が立派な武将になるための教育を受けさせます。

 インドでは7歳になると文字や算数を習う習慣があったようですが、釈尊は7歳にして師をしのぐ能力をもっていたとか、8歳からの剣術、馬術、象術、天文、占い、呪術等の能力も抜群であったと仏伝に記されています。弓の競技会でも、誰も引くことのできなかった、祖父獅子王が使用していた鉄の弓で座したままで鉄鼓を射抜かれ、その矢は天高く舞いあがったという話もあります。
 つまり仏伝では釈尊ははじめから仏陀であり、あらゆる能力をもつものとして伝説が語られています



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