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 釈尊は王族に生まれ恵まれた生活をし、欲しいものは何でも与えられ、ありとあらゆる快楽をほしいままに暮らしていました。三つの別邸があり、多くの侍臣にかしずかれ、美しい女性をはべらせ官能の快楽に酔いしれる優雅な生活をされていました。
 ガンジス河中流の地域は、上流からの肥沃な土が運ばれてきましたので農耕に適し、豊かな農産物を生産することができましたので人々の生活は豊かであり、王宮の恵まれた生活は満ちたりたものでありました。当時、インドの上流社会では四住期(アーシュラマ)といわれる四つの生活ができることを理想としたといわれています。

 学生期 ― 勉学の期間で古典ヴェーダを指導者について学習する。
 家住期
  ― 結婚して家庭をもち、子どもを養育し後継者をつくり、先祖の祭祀を行う。
 林住期 ― 家の後つぎができると家を出て森林にはいり求道生活を送る。
 遍歴期 ― この世の執着を捨て聖地を遍歴し、一所不住の遊行で解脱を求める。

 こうした社会状況で出家の思想家が生まれ自由思想家といわれる人々が出現しますが、これらの人たちは「サマナ」(沙門)と呼ばれていました。沙門には王族出身の人もいましたが、家を捨てて出家し、一般の人々から施し物をもらって生活していました。出家の理念というのは、輪廻転生とかかわっています。つまり輪廻転生は苦しみであり、人生の苦から開放されるためには輪廻からの脱却が大切です。輪廻することのない解脱の道に進むことができれば、人生の四苦八苦より開放されるのです。

 輪廻転生の原因は毎日の行いの善し悪しによります。善(功徳)と悪(罪障)の行いを日常生活の中で意識的に、あるいは無意識にしており、善悪の行為(業)を積んでわれわれは生きているのです。解脱するには業を積むことを止めることなのです。それは日常生活から離れる(出世間)以外になく、出家して世間と違う生活にはいることです。そして衣食住を次のようにするのです。

 衣 → 初期ジャイナ教は衣をつけず全裸で修行したといわれています。ボロ衣を使用する。

 食 → 食べ物を購入したり、貯蔵はせず鉢をもって在家より乞食をする。野生の草を食す。

 住 → 一所不住でたえず遊行して大樹の下、洞窟などを宿とし旅の空で過ごす。

 少欲知足を修行生活の根幹として、衣、食、住をきびしく制限するものでした。
 29歳の釈尊はこの道を選んだのです。夜中にこっそり王城をぬけ出て、愛馬カンタカと別れ、きらびやかな衣装を捨ててボロをまとい髪を切り落として、南にむかい、マガダ国にいったとされています。マガダ国はインド最強の国であり、豊かでもあり、有名な沙門が集まっていたからです。
 それにしても釈尊はなぜ出家したのでしょうか。恵まれた王宮の環境から一歩外へ踏み出すと目をそむけたくなる阿鼻叫喚の世界のはずです。乞食とも浮浪者ともつかぬみすぼらしい姿の老若男女の群が街をうごめき、まさに地獄のようなところへ、若き妻や子供を捨て、老いたる父母の恩愛をたち切ってなぜ出家されたのでしょう。

 釈尊が解脱を求め出家された動機について仏典は「四門出遊」を記しています。東門から出るとみにくい老人にあい、老苦を、南門から出た時には病人とあい病苦を、西門から出た時は死人をみておどろき、更に北門から外に出て沙門にあって、老、病、死の苦から逃れる道は沙門として生きる以外にないと決意されたというのです。
 はなやかで楽しそうな人々は生老病死の四苦や八苦の苦悩にうちひしがれて死んでいくと知った釈尊は、自分で解脱を考えるだけでなく、多くの指導者から教えを乞い納得のいく人生、真実を求める人生に生きたいという人生究極の道を求め、はたして運命から脱却して四苦八苦を超越して救われる道があるのかを知りたいと出家されたのです。

 最初にアーラーラ、カーラマ仙人を訪ね、無所有処という何物にも執着しない無一物の境地を得られました。次にウッダカ、ラーマプッタ仙人のもとで非想非非想処という無念無想の境地に到達されました。しかし釈尊は、この境地では老病死の苦悩を解脱することは困難とされ、煩悩を滅する手段として「苦行林」に入り、はげしい苦行に専心されるのです。




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