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人生は四苦八苦だといいます。四苦は生・老・病・死で、生まれるということは「思い通りにならない世界に生まれる」という意味で《生苦》なのです。さらに日常生活にみられる愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦と人の身心から生まれる五陰盛苦の苦しみを加えて八苦といわれています。人生観、世界観の基本に人間の苦悩の真相を認識するのが仏教の教えです。どうすればこの苦悩から解放されるかで釈尊は難行苦行されたのです。 人間には肉体と精神がありますが、人は肉体の欲望によって精神が悩まされ、悪徳や不幸にひきずり込まれてしまうのです。戒律によって行いを慎み、心の平安、清澄を不動のものにするため、心を鍛錬して禅定により肉体を束縛してその欲望を抑え、心を乱さないようにして正しいものの見方を体得すれば解脱できるとする修行の方法です。 生老病死の苦悩は禅定によって忘れることができたとしても、この世に生きる欲望(貪欲)とそれに対する嫌悪(瞋恚)が心を苦しめます。こうした煩悩を滅除する方法として苦行が行われました。釈尊も「苦行林」という森に入ってはげしい苦行をされました。肉体の欲望を制御し、心を制御するため端坐して歯をかみ合わせ、身も口も心も動かさないようにじっとしている。出入の息を制御して呼吸を止めるとか、断食して一日に麦一粒だけを食べて極限まで食を断つという極度の難行をされたようです。 釈尊は六年間苦行の日々を送られましたが、ついに「この難行はさとりに至る道ではない」と結論され苦行の無益なことを知り、新しい道を求められます。苦行が激しければ激しいほど、心の平静を失い気力がなくなり思考力が弱まることを体験され「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という身心一如、中道主義こそが修行に大切であると悟られました。 体力を回復された釈尊は、ブッタガヤにある菩提樹の下に坐り、目的を達するまでこの坐を立たないと誓願され瞑想にはいられました。その固い決意に驚いた魔王は攻撃をしかけました。妖艶な魔女三人に誘惑をさせたり、鬼神に暴力をしかけさせたり、皇帝の坐を与えようと甘言したりしましたが、不動の釈尊は心静かに禅定にはいり人間の生死について、ついに正しい智を体得されました。 |