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 仏教の開祖、釈尊が誕生されたのはルンビニーとされていますが、生誕の地にアショーカ王の石柱が建てられており、「ここに仏陀、釈迦牟尼が誕生された」と刻文されておりますので、ネパールのタラーイ地方であったことは歴史的事実であります。ヒマラヤ山麓に建国していました釈迦族の王子として西紀前六世紀ごろにお生まれになりました。

 「釈尊」というのは釈迦族の尊者という意味の尊称で釈迦牟尼世尊を縮めた語です。釈尊のことを仏陀ともいい「めざめた人」のことをいいますが、原始仏教では釈尊以外に六人の仏陀の存在を説いています。これを過去仏あるいは古仏(燃灯仏など)といい釈尊は第七番目としています。そして未来に顕れる仏として弥勒仏があり、現在は釈迦仏と弥勒仏との中間で無仏の世と小乗では考えていますが、大乗では東方に阿閦仏あり、西方に阿弥陀仏というように無数の仏が存在すると考えました。

 仏陀としての釈尊の偉大さを讃える立場から釈尊の伝記が「仏伝文学」といわれているほど多くあります。釈尊は釈迦族のスッドーダナ(浄飯王)を父とし、マーヤー(摩耶)を母として生まれました。どの民族に属していたかは明らかではありませんが、インド・アーリア人の多いネパール中部の南辺のインド国境に近い小部族の国でカピラヴァットを首都としていました。
 一族の共和制政治をとる自治共同体であったとされていますが、政治的にはコーサラ国に隷属していました釈迦族は農耕生活を営み牛を重要な労働力として稲作をしていたと推測されています。

 偉大なる人の伝記は、古来その人の前生について書いているものが多くありますが、何度も生涯のあいだに献身的な努力を重ねてこられたので「仏陀」になられ、その教えはインドや東南アジア、中央アジアから中国、朝鮮、日本など世界中で信仰されるようになったとされる立場から「前生物語」が世界各地に伝えられ、仏教彫刻絵画の主題となり文化遺産として伝えられています。
 仏教では、仏陀は遠い過去の世にも久しい間隔をおいて次々と出現されていますが、釈尊は、遠いむかしに燃灯仏という仏陀から使命を授けられ、のちに仏陀となる約束をされています。

 むかし燃灯仏(定光仏ともいう)の時代に、儒童という青年がいました。この青年は一心に仏道修業をしていましたが、仏陀が現われたことを聞き、鹿の皮を着て山から下り、途中修業者五百人に遇い、仏道について論議しました。そして修業者達から銀貨一枚ずつを餞別されて都へやってきました。その日に燃灯仏が都へ来られるとのことで、儒童は大喜びで仏陀にあいに行きますが、その途中王家の女が七本の青蓮華を水瓶にさしているのを見て、五百枚の銀貨を渡して、五本の青蓮華を手に入れ燃灯仏にささげました。

 ところが儒童のささげた青蓮華は空中にとどまって燃灯仏の頭上を飾りました。この時燃灯仏は「おまえは過去久しい間、多くの生涯で修行を続け、身命をなげうって人々のためにつくし、欲望を捨てて慈悲ぶかい行ないをして来た。将来において仏陀になってシャーキャムニとよばれるであろう」と授記されました。
 青年は自分の着ていた鹿の皮をぬいで道にひろげ、更に自分の髪の毛を解いて地面にひろげ、燃灯仏に踏んで通ってもらったということです。

 また猿王が釈尊の前身だったという話もあります。猿の仲間が皆殺しになりそうな時、自分の背中を橋にして対岸に逃した猿王は自分の身を犠牲にして猿王としての義務をはたしたという話です。法隆寺玉虫厨子台座の密陀絵で有名な太子の話もあります。
 山の下の深い谷底で七匹の子を生んだ母虎が雪の中で飢えているのを見て、太子が合掌して虎の目の前にとびこみ、虎が母子ともに、この太子の身を食べて元気になったということです。

 このように「ジャータカ」の物語は数百伝わっていますが、それらは自己犠牲の功徳を前生で積み重ねて来た功徳によって、今生では釈尊のような人格円満な世尊が生まれたのだとされています。



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