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 煩悩とは、わずらわしい悩みのことです。

 私たちの心や身体を煩わし悩ます精神的な作用をいい、心の中にある欲望や執着により引き起こされるとされます。

 
人間にはさまざまな煩悩がありますが、根源的な煩悩は

  貪欲(とんよく)  貪るように欲しがる

  瞋恚(しんい)   思い通りにならないと腹をたてる

  愚癡(ぐち)    真理を知らない愚かさ、無智・無明ともいう

 の三つで、三毒と呼ばれています。

 

 これに (まん) おごり高ぶる
     
(ぎ)  よく考えもせず真理を疑う
     
悪見(あっけん) 間違った見解をもつ

  の三つを合わせたものを、六大煩悩、または、根本煩悩と呼んでいます。
 

 百八の煩悩の数え方には、九十八随眠(煩悩のこと)と十纏(じゅうてん:現に働いている煩悩)で百八。あるいは、私たちの感覚器の六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)に、苦・楽・捨の三受と、好・悪・平の三種を掛けてそれぞれ十八で、両者を合わせた三十六に、過去・現在・未来の三を掛けて百八。
 さらには、インドでは「百八」は数が多いことを表現する数字とされていますので単にたくさんの煩悩という意味で百八とする数え方があります。


 煩悩があってこそ人間であり、だからこそ他人と関わることは必要不可欠となるのですが、度を超せば、強い欲望、執着により自分をコントロールすることができなくなります。そして、執着する心や恨みの心だけでなく、わたしたちが、人との別れを嘆いたり、人を愛することもまた煩悩です。愛する心が強くなりすぎますと、別れを受け入れることができなかったり、自分の思い通りにしたいと考える心も強くなり、そのことにとらわれてしまいます。

 ですから、煩悩を否定するのではなく、もともと人は、6つの根本煩悩から派生するたくさんの煩悩を抱えやすいということを心にとどめて、これを上手にコントロールし、度を超せば反省をして、他者に迷惑を掛けたなら素直に謝り、心を穏やかに、安らかな境地でいられるようにするのが人の生きるべき道だという教えです。
 

 過保護な親、偏愛、家族や他者への無茶な怒り、人間不信、仏の知恵や他人の親切な心を疑うさまなどは、度を超した自我へのこだわり、執着が引き起こすものでもあります。自分だけでなく、目の前の他者も、同じように煩悩を抱えているということがわかれば、人付き合いの方法も穏やかなものへと自ずと変わっていきます。



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