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 六道輪廻は、人は、その性質性格が固定されたものではなく、六道を転々として流動化しながら、心の境地の変化させている存在であるとの教えです。 

法華経の前半である「迹門」の中心思想であり、人間の本質を追究していくと、人間というモノは、悪に向かえばとことん悪い存在となり、生物存在の最悪の状態である地獄に墜ちる。一方で、この地獄の境地にいる人も、人間に、また仏にと変わる可能性を持っており、また仏もいつ地獄に落ちるかわからないというのです。

 六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの心の境地をいいます。

 それぞれを見ていきますと。

 地獄とは、人が瞋恚(しんに:怒り)によって心が占められ、何の余裕もなく、いかりによって世界から孤立してしまうさまをいいます。人間の本質は、他の人との共存の生活の中に維持されますが、孤立するということは、人間の本質に反し最も苦しい状態であって、これを地獄という言葉で表しています。地獄絵などでは残酷な殺され方をするさまが描かれていますが、これは、あらゆる方法でその人の存在を否定され続ける境地をわかりやすく表現したものです。 

 餓鬼というのは、貪欲によって心が占められたときに落ち込む悲惨な境地を言います。この貪欲とは、食をむさぼり、衣をむさぼり、他の人の親切をむさぼり、奉仕をむさぼり、尊敬をむさぼるさまをいい、人の物や心を欲しがる心が強ければ強いほどこれを得られない悩みが深く、この悩みの境地を餓鬼という言葉で表現しています。

 畜生とは、人間の眼に触れる犬や猫や牛や馬等の動物のことです。そもそも人間は本能と衝動の二つによって動かされるそんざいであり、自己保存の本能、種族保存の本能、その他の本能が、潜在意識にあり、それが内外の刺激によって衝動を感ずるようになり、行動として表れると考られます。畜生は、本能の赴くまま衝動に動かされて、あさましい生活をするのですが、人もまた衝動によって動かされて、あさましい生活をすることがある。このような状態を畜生道に墜ちたと言います。

 修羅とは、争いの絶えない状態です。これは利益追求のため口実を設けて、自分の行為を正当化し、その責任を負おうとしないことにより、他者に責任転嫁し、争い続ける心の境地をいいます。

人間とは、平生をもって本質とすると言われます。平生とは、地獄や餓鬼や畜生等の道に落ち込もうとするけれども、その途中で反省して、元へ戻ってくる。すなわち自分の行動を客観的に判断し、行いを正すことができるこころの境地をいいます。


 天上は、歓喜をもって本質とする穏やかな心の境地をいいます。 


 人間は、生物存在の中でも高等な霊長類として考えられることもあれば、動物以下すなわち必要のない殺し合いをする存在でもあります。


 しかし、自分の言動を省みる能力を有する存在であるのだから、この6つの境地があることを認識し、他者との共存を図るため意思を強く持ち、よりよい正しい行動をとるべきであると説くのが六道輪廻の教えです。



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