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 自分がなにかを言ったりしたりする言動には、かならずその結果が自分にもたらされること、逆に、なにかが起きると、それはかつて自分のした行為が原因になっているというのが自業自得、つまり自分のしたことの結果をうけとるのは自分であり、けっして他業自得とか、自業他得とかではないという古代インドの業(ごう)という考え方があります。

 輪廻転生というのは、自分の行いの報いはかならず自分が受けるという自業自得を基礎にした因果応報の法則と、生きとし生けるものが現在このように生存しているのは前生の行いの報いであるという考え方で、来世どんなところに転生するかは、今生の行いの良し悪しによって決まるとするものです。
 運命論とか、超越的な神の意向ではなく、自分にかかわる一切のことは、自分の責任として結果を受けもつ自律的な自己責任の主張で、人間が精神的に成長するのに絶妙の信仰でありました。

 業はカルマの訳語ですが、造作、作用、行為などを意味しており、身体、言葉、意識のすべての働きと、それによって生ずる潜在的な力のことだといいます。この身、口、意の三業の中で一番大切なのは意業とされました。
 その業には善業と悪業と、善悪いずれでもない業(無記)がありますが、輪廻転生を決定する業は、善業と悪業だとされています。

 生きとし生けるものは、死んで何かに生まれ変わり、また死を迎えるという再生と再死を延々とくりかえすのですが、その転生と人間のこの世での行為を結びつけて、バラモンの祭祀の実行が死後の運命を決定すると信じたのが、インドの教えなのです。「人は善き業により、よき人となり、悪しき業によりて悪しき人となる」とされて、世俗的な欲望を離れて出家遊行する生活が求められました。
 人間は欲望をもつかぎり、その行為は業として現われ、その結果として苦楽を感じますがすべての業を滅尽すると、自我は輪廻を離れて絶対の自由、すなわち解脱を得ることができるとされています。しかし、少しでも業がある限り輪廻を脱することはできないのです。

 輪廻は再生をくり返すことですが、この世は望みどおりに生きられないし、死が必ずやってくることから輪廻転生は苦しみ以外のものではないので、そこからの永遠の脱却をもとめ解脱を願いました。
 バラモンはそうした人々の願いを神に祈り人々の境遇や、死後の運命をよりよいものにすることにつとめました。この神々は神殿や神像も必要なく、神々を勧請し、正しい方法で祈ることにより、神の威力は増し、その力を顕示するので祭式を完全にとりおこなえる能力をもつバラモンが尊敬されました。
 神々と交わり、神と一体感をもって祭礼をはじめもろもろの行為をすることが将来の報いをもたらすと教えたのです。

 無我、あるいは非我の教えである仏教もこの業の思想を伝承しています。仏教もまた、前生から今生、さらには未来世にわたり自己同一性のある心身の要素=名色(みょうしき)=を説いています。
 われわれの心身の諸要素は今生から未来世へ、不連続ながら連続していくとされます。連続する名色とはなにかといいますと、「名」というのは心と心の作用からなる心的要素であり、「色」というのは身体的要素だといいます。名色が再生するのではなく、名色によって善または悪の業がつくられ、その業によって名色が再生されるというのです。

 「死に終わる名色と、再生された名色とは異なるけれども死に終わる名色から再生する名色が生まれる」とされており、その関係は同一でもなく、他のものでもないというのです。
 大乗仏教では、三業を善、悪、無記にわけていますが、業の結果として現世における生が起こるかぎり輪廻を脱することはできないとしています。したがって前生に善業があったとしても結局は輪廻することになりますので、これを宿業と呼んでいます。

 



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