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 人間が死後霊となって人間に再生するという考えは、世界各地に古くから存在していました。
 古代のエジプト人の来世観は、「オシリス」に正義と判定された霊は、自分の意志で神の国に止まることもでき、現世に人間として再生することも自由であるとしています。人の死後のことについての願望を書いた「死者の書」には、「日の下に出現することの諸章」というのがありますが、日の下に出現するというのは再生を意味しており、人間の胎内に再び宿り新生児として誕生することですが、当時のエジプト人は人間だけでなく、動物に生まれ変わることも望んでいました。
 古い時代の人々は人間と動物の間に優劣があるとは思わなかったので獣頭人身の像などでそのことを表現しています。

 エジプト人は現世の生活に満足していたので、現世に再生することを望んでいたといわれていますし、死者から離れたバア(魂)は神の国に行くことになりますが、神の国に入りますと、そこで再生し大神の祭壇に供えられているパンや葡萄酒、ケーキなどを食べ現世とあまり変らない生活をするといいます。
 ヘロドトスは「歴史」に次の記述をしています。「また人間の魂は不死であり、身体が滅びると次々に生まれてくる他の動物の中に入って行き、陸に棲むもの、海に棲むもの、空飛ぶもののすべてを一巡すると、またふたたび生まれ出てくる人間の身体の中に入って行き、3,000年で魂は一巡するという説をはじめて唱えたのもエジプト人である。」

 さて、インドでは、人間は生きている時は体内に生気(スス)と霊魂(マナス)があり生気は生命の源であり、霊魂は思考力や意志や感情を起させるものであるとしています。霊魂は心臓の中にあって小さく早く動く羽根のあるものとされています。
 死は生気が離れ遺体には霊魂が残るとされていますが、火葬すると、霊魂も生気も離れますので、遺体は抜け殻となってしまうというのです。「ウパニシャッド」では、現世で戒律を遵守し、布施、信心の生活を送った人は、死後「父祖の世界」に行き、そこから月世界に渡って、そこで現世の果報を享受し、楽しい生活を送りますが、やがて雨となって地上に戻り、そこで食物となって人間に食われ、最終的には女性の胎内に入って新しい肉体に再生されるとされています。

 古代の人々は、あの世に行った霊は祭礼の日に子孫のもとに帰ってくると信じていました。霊の帰る場所は墓などの他、岩くらとか突き出た岩、山中の男根石や女陰石に帰ってくると考え、男根石を御神体としたりしています。
 日本でも縄文人は炉のそばとか、広場の石棒、ストーン・サークルの石柱に先祖霊が帰ってくるとしていました。先祖霊は懐かしい家族や子孫の消息を伺い、これを護ると同時に、自分の精霊をこの世に再生させる目的もあると信じられたようです。
 「男性のシンボル」を祀ったのではなく、先祖の精霊を求め、その再生を願う儀式が性器崇拝だったのです。

 仏教は無我と無常を基本としたもので、形あるものは必ず滅し、永遠の自己は存在しないとしています。愛する人が死んだとしても生まれたものは死なぬということはないので亡くなったからといって嘆き悲しむことはない。むしろ無常を観ずることによって心の平安をたもてと説いています。
 しかし、人の死は中有の状態となり、幽体が離脱して、身体からぬけ空中を自由に飛行するといいます。幽体のからだは微細な要素からなっており肉眼ではみえないが、原子的身体であるので自由にどこへでも移動できます。中有はこの世が終って次の世に生まれるまでの中間的存在なのです。

 無常は花が咲いて散りますが、また次の年に開花するように人は死んでも、「よみがえる」ことができるので嘆き悲しむことより心を養えと説いています。



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