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 人間の霊魂が死後、他の動植物や、生まれてくる人間のなかに転生するとか再生を繰りかえすという輪廻転生説は、世界各地の原始文化のなかにあります。霊魂は肉体から遊離することができ、人間の霊魂も動植物に宿る霊魂も同性質のもので、非常に小さなものだと考えられています。

 古代ギリシアのピタゴラスや、エンペドクレスも霊魂の再生を説いていますし、それを受けてプラトンも霊魂は不滅であり、霊魂の数は一定で輪廻は規則的に行われているとされています。
 プラトン哲学は、霊魂のなかの神的要素を浄化、解放して神々の世界にある本来の自己のすみかに帰ることが人生の目的だとしています。

 インドの古代からの宗教・哲学は輪廻転生を基本にしており、アーリア人到来以前の先住民族が生殖力崇拝、祖先崇拝の風習を通して輪廻転生を信じていたとされています。
 3000年ほど前に成立した「リグ・ヴェーダ」によりますと、人間は生きている時は体内に生気と霊魂があるというのです。生気は意識とは関係なく生命の源であり、霊魂は思考力や意志、感情を起こさせるものだといっています。
 気絶したり、睡眠中は霊魂が遊離した状態であり、死は生気も霊魂もともに身体から永久に離れてしまった状態だというのです。

 死後霊魂はあの世へ行くとされていますが、遠いところなので、迷わずいけるように火葬の時、羊も道案内に一緒に火葬する習慣がありました。羊は道祖神プーシャンの車を引くといわれており、プーシャンは神の国につくまでの守り神として信じられました。
 そして、善人の霊魂は遠い先祖の住む「父祖の世界」=死の神ヤマが支配している世界=に旅立ち、そこで永遠の生命を得て、あらゆる楽しみを享受できるとされていますし、悪人は暗黒の深坑におちてしまうとされています。

 輪廻転生を体系的に叙述したのは「ウパニシャッド」です。生前中に戒律の遵守、布施、信心の生活を送っていたものは、死後「父祖の世界」に行き、そこから月の世界に渡って生存中の果報を享受し、その後、雨となって地上に戻り、食物となって人間に食べられ、それから精液となって母体の胎内に入り、新しい肉体の中に再生するといわれています。
 生前に悪の生涯をおくったものは、動物、または昆虫となって再生するとされています。

 こうした輪廻転生の考え方は、業思想をもたらし、人は現世でまいた種=業=を来世で刈取らねばならないとされ、善業はよき来世を、悪業はあしき来世をもたらすことになります。生きるということは、前世の善悪の行為の結果を生きることになり、その結果を清算する場であり、未来の生を予決する場だというのです。
 戒律を守り、神を祀り、坐して息を調え、感情を制御して念を集め、三昧に達すると自由な境地がひらけ、超能力者となり、神に祈れば神の声がとどくとされます。

 そして、個人の霊魂=自我(アートマン)=と宇宙の絶対者=梵(ブラフマン)=とが一致するという梵我一如になる解脱を成就することができれば、輪廻のない不滅の光明の天の世界に安住することができるというのです。
 つまり人間のアートマンと梵=ブラフマンとが合致できれば、業の束縛から解放され生と死のくり返しの苦悩から永遠に離脱できるというのがヒンドゥー教の基本的な教義なのです。そして、この転生の考え方はのちのジャイナ教でも、仏教でも導入されているのです。

 仏教はほとんどのインド人が輪廻転生を信じていたので、この考え方を採用していますが、仏教は個人の人格的主体を認めない無我の教えなので、霊魂や、アートマンなどの存在を積極的に認めてはいません。
 しかし、人間の行為の結果である業そのものは輪廻すると考えました。衆生が迷いの世界にいる限り、三界六道の迷いの世界に生まれかわり死にかわり果てしなくめぐりさまようとされています。

 



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